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「…太宰さん。」
一体どうしたことかと、訊いたのは自分だ。
体調不安から堪えが効かなくて、
気が弱ってか あれやこれやを吐き出してくれているのだとして。
だが、あまりに深刻なことまで赤裸々に吐露してくれた上で、
『私という人間はね、虚洞なんだ、がらんどうなんだよ。』
飄々としては居ても、自負というのか自信というものか、その人性の芯となるものを常に維持し、
人を食ったような態度を取るときも、
しなやかに背条を伸ばしてそれは頼もしい御仁であったそのはずが。
そんな言い方をして、何とも頼りない目をしてみせる。
「い、いいい、一体何があったっていうんですか。」
ちゃらんぽらんでも、入水だの首括りだのをしでかしても、
今現在の相棒たる国木田さんを揶揄う時でも、
それなりにしっかとしている人が、こうまでの妄言とは一体どうしたことか。
そう言えば痛いの苦しいのか嫌いだと言いつつ、この極寒の中で入水したというのだって、
相当に混乱した結果なのではなかろうか。
「そんなに面白い話じゃあないのだけれどもね。」
何とか宥めようとしていたはずが、余りに狼狽えている敦が気の毒になったのか、
問われるまま、何か話してくれそうになったので。
これは一言一句も聞き逃せぬと、
ゴクリと息を飲み、居住まい正して正座した膝の上へ拳を揃えて、身構えたところへ、
太宰が力なく苦笑しながら語ったのは…。
◇◇◇
昨日は太宰にも特段難しい案件は振られずで、終業を迎えたそのまま帰宅をし、
昨夜は芥川の自宅で刻を過ごして居た彼らだったそうで。
特に取り上げたいものがあったわけでもないまま、
時折雑談しつつ、リビングで寝るまでのひと時を過ごして居た二人で。
日々のあれこれを持ち出すこともあるけれど、そうそう全部が全部は話せないお互いでもあり。
家財つきの物件だったため 一応は設置してあったが
長いこと使われていなかったのでリモコンが行方不明だったというテレビをつけ、
時事ニュースや紀行番組などを眺めていることもあれば、
それぞれで読書なぞに没頭していることもある。
そのくらいに打ち解け合っていて、殊に、
テレビについ見入っている芥川の精緻な横顔を眺めているだけで
何時間でも過ごせる太宰としては、
実は長編ものの時代劇が好きな青年が、
敵に陥れられた主人公やその身内が追い詰められ、
だがだが佳境でどんでん返しとばかりに大きく立場が逆転し、
それが見せ場なのだろう、派手な殺陣回しを演じ、
そのまま仇敵らへの成敗に至るのを
それは素直にハラハラしたり
おおおと瞠目するほど興奮して見やっているのが可愛くってしょうがな…
…いやそれは今回はともかくとして。(ん"んんっ)
「お茶、淹れて来ましょうね。」
先週は弥生並みに途方もなく暖かだったものが、またぞろ寒波襲来で冷え込んで来ており、
明け方は地域によっては路面凍結という恐れもあると、
列島を中央に配した天気図を背景に、気象予報士の男性がフリップで解説しておいで。
それでも今日は暖かい方だったんですがと、昼のうちに出かけていた折の感触を口にした芥川で。
そのままひょいと視線をこちらへ寄越した彼の、何の気負いもない素直なお顔へ、
ふふとこちらも柔らかく笑みかければ、
そこで初めて仄かに赤くなり、視線を泳がせながら 先の一言をもしょりと口にし、
ちょっぴり逃げるような感でソファーから立ち上がる。
前日に出先で逢ったそのまま約束を取り付けたものか、
(まさかにそれが結構壮絶な鬼ごっこだったとは知らなんだのだが) 笑
本日は早い時間から敦少年と出かけていたはずで。
夕刻近くに急に樋口に呼び出され、何某かの掃討任務の後見だか補佐だかを手掛けたらしく、
それでも太宰よりは早めに帰宅していた彼であり。
そういう時の習いで社から真っ直ぐこちらへ足を運んだ太宰へ、
ささやかながらも夕餉を整え、嬉しそうに口角をやや上げて微笑みながら迎えてくれるのが、
“正直なところ、こちらもじんわりと嬉しいのだよね。”
そういう教育をほどこした成果、心無い狗として破壊や鏖殺任務も冷静且つ的確にこなし、
虚無や夜をつかさどる無情な黒に見合う存在となっておりながら。
そこはやはり まだまだ過渡期のうら若き青年。
いびつな育ちをした不均衡からか、甘い感情には不慣れなままで、受け流すことも逃げ方も知らぬ。
とうとう本心を吐露してしまったそのまんま、手のひら返したように甘やかす太宰には、
当初、いちいち真っ赤になっては狼狽えたり、思考不能となって固まったりもしていたが。
一方で、それまでは憎い憎いとしか見られなんだ虎の子とも睦まじくなったほどに
その人性に深みが出来、
そこから徐々に、太宰との接し方にも少しずつながら落ち着きと余裕が見えてきた模様。
一番に顕著だったのが、
余りに判りやすい格好で傅くような態度はとらなくなったことだろう。
目も合わせないほどのへりくだりや畏まりようは勿論のこと、
こちらの機嫌を伺う気配を見せても、そのまま太宰がため息交じりに苦笑すると悟ったようで。
お望みは気の置けない知己同士という級らしいが、
とはいえ年齢差があるので目上へという言葉遣いだけは堪忍をと、
この身へ、この心へ、彼の側からも少しずつ近づいて来ての、何とか寄り添うてくれており。
それでもあのその、あまりに無防備が過ぎているところを
それは微笑ましそうに眺められているのへ ふと気が付いたりすると、
そこはそれ、腑抜けっぷりを晒したようで、自尊心から恥ずかしいと思うのだろう。
照れ隠しのように、若しくは逃げるようにキッチンへ立っていくのが
“判りやすくて可愛いなぁ”と、微笑ましくってしょうがない。
視線で追うのも追い打ちのようなので勘弁してやり、
声を出さずにくすすと笑っていた太宰だったが、
“………おや?”
自身のすぐ傍を通り抜けたその身と共に、
微妙な香りがふわりと太宰の鼻先へと届き、
ついのこととて “え?”と和んでいた表情が一瞬固まりかかる。
日頃から着ているざっくりとした編み目のカーディガンに
少し丈夫な生地のTシャツとGパン仕様のレギンスという衣紋のどこにも
下ろしたてだからという条件はないはずの身からそよいだのは
揮発性のある消毒系の匂いであり。
わざわざ香水やトワレを使わぬ彼だからこそ
その際立った特徴が紛れることなく届いたのだろう。
そして、
「……。」
これといって変わりようもないままに
ダイニングを兼ねたリビングとの境、
カウンターのようになった見通しのいいキッチンスペースへ至り、
手慣れた様子で沸騰ポットをセットし始める芥川が、
「??」
微妙な無表情で見やって来る太宰の様子へこそ、何かあったのかと思ったのだろう。
それでも、怪訝そうな顔にまではならぬまま、ぱちりという瞬き付きで小首を傾げられ、
「ああ、いや。なんでもないよ。」
愛しいキミなので見ていたいだけだなんて体で、
鳶色の双眸を悪戯っぽく弧にたわめ、くすすと笑って見せたのだけれど……。
◇◇◇
太宰の述懐はそれは判りやすくて、
和んだ空気の中、いかに寛いでいた彼らだったかも ようよう伝わったからこそ、
「……何がいけなかったのでしょうか、それ。」
消毒薬の匂いって、そんなに罪深いものだろか。
もしかしての万が一、実は芥川が思わぬ負傷をしていて、
だが太宰には心配かけたくなくて黙っていたらしいとしても、
そこからどうして、嫁を見つけてやらねばならぬと焦る要因になるものか。
もしかしてボクは自分でも気づかぬうちに途轍もない阿呆になり下がっていて、
一般的な常識が全くの全然判らなくなっているのだろうか…と感じたほどに、
途中式がなさ過ぎて、今の述懐と太宰の今日の奇妙な言動とが一向につながらぬ。
これは困ったと本格的に眉を下げ切っている敦だったのへ、
「だからね、私、何で芥川くんへ訊けなかったのだろうかと、
そんな自分へ衝撃を覚えたのだよ。」
「は、はい?」
先生からの模範解答 解説が始まったものの、そのとば口がまた難解で。
「怪我でもしたのかいって、腕の一つも掴んで軽く訊けばよかったのにね。
ただ、そう思ったと同時に、隠していてすみませんと恐縮されないかとも思ったんだ。」
そも、怪我をしたとは限らない。
掃討任務の後見なんてしんがりに陣取って観ているだけ。
取りこぼしがあったらそれを追うよう指示するだけのことだから、
怪我をしたとすれば彼じゃあなくて部下の誰かに違いなく。
手当てまで見届けていて消毒薬の匂いがまといついただけかも知れぬ。
そりゃあ大変だったねなんて、他人事として聞いてお終いかも。
「でも、それにしたところで、
隠しおおせなんだと芥川くんはやっぱり気落ちするかもしれないななんて、
勝手ながら ぐるぐるりと様々な例えばが頭の中を巡った挙句に、」
___ 何で私、こうまで戸惑っているのだろうと思って愕然としたんだ。
卓袱台の上へこつりと静かに小石を置いたよに、それはそれは穏やかな口調だったのに、
途轍もなく深刻な告解をされたような空気となった。
それほどまでに悄然とした口調と表情だったのへ、ついつい飲まれた敦だったものの。
「……はい?」
ちょっと待ってくださいなと、やはりやはり何か腑に落ちぬ。
訊こうかな訊くのは憚れることかもなぁなんていう戸惑いは、
自分だって時々抱える逡巡で。
「…それで、結局は訊いたんですか?」
「訊いてないが、そのあとの風呂上がりの身からはすっかりと匂いも消えていたし、
所作動作にもさりげなく庇うよな不自然なところはなかったから、
きっと移り香ってやつだったのだと思う。」
大事ではなかったので安堵しはしたが、
「さっき敦くんも言ったよね? 何を弱腰になっているのかって。
そうなんだ、私随分と弱腰になっているのだと気がついたんだ。
何てことないだろう些細なことまで訊けないほど、
芥川くんへの接し方が
どんどんと過保護を過ぎてのおっかなびっくりになっていて。
そんな私に師事していてはいけない。」
そんなこんなと感じた、呆然自失っぷりを誤魔化したくて、
ちょっと用事があったの思い出したって家へ帰ることにして。
その途中で冷たそうな川の真っ黒い水表にふらふらと引き寄せられて。
「風邪ひいちゃったんですね。」
「そのようだけれど、これは決して朦朧としていての妄言じゃあないよ?」
それは穏やかに笑う太宰はといえば、
「私はね、さっきも言ったが虚洞な人間なんだ。
今になって芽生えた自分の感覚にさえ狼狽えているほどにね。」
先を見通しちゃあ冷めた感慨しか抱けなくて、
それでもそれを引っ繰り返そうと、せめてもと頑張るときのため、
日頃はストレスを抱えないでいようとちゃらんぽらんでいて。
「でも…太宰さん優しい人じゃないですか。」
面倒がりつつもじつはしっかと手を差し伸べてくれる。
一人分の助力じゃあ足りないときは、
自分だけが悪者になって、わざとに説明不足な物言いをして非情なように振る舞って、
他の顔ぶれがじゃあ私が助けるって流れになるよう持ってって。
そりゃあ苦労して頑張ってもそれは匂わせもしないでいて、
助けられた側の負担にならないよう取り計らってくれて。
「ボクにだって…。」
「それはキミが社の役に立ちそうな人材だったからさ。」
ああまたそんな言い方をする。
そして、こういう場合も理論武装とでもいうものか。
もういいのだ、と
「それでなくとも、
あの子は私にさんざん振り回されて大変な想いをしたのだから。」
自分には過ぎた子をこれ以上縛り付けておくなんて出来ないんだよと、
もはやこれまでという方向での理路整然、諦念にまみれているよな言いようを差し出されては、
“うわぁん、どうしよう…。”
自分がやり込めるなんてそもそも荷が重すぎる相手。
しかも、単なる理詰めではなく、感情も含め、
こうまで滔々と述べ立てられては敦ごときでは取り付く島もない。
“事情が判ってるボクこそが何とかしなけりゃいけないのに…。”
どうしようどうしたらと敦が焦り始めていたところ、
「接吻までして、供寝までしておきながら、
よその女をめあわせようとは、不逞奴だな手前はよ。」
唐突に割り込んで来たお声があって、
虎の少年が思わずのこと胸へと手のひらを伏せている。
簡素な造りの1DKゆえに、
玄関開けたらキッチンスペースの向こう、居室全部がほぼ丸見えという空間へ。
茜色の髪にはいつもの黒帽子を載せて、
こじゃれた黒スーツに黒外套という姿でお目見えしたのは、
「…何でキミがいるんだい、中也。」
「ボクが呼びました。」
お忙しいことと思いますがと、
おそるおそるに、だがだが、一大事なのだと説得の傍らに敦がメールしたところ、
こうして駆けつけてくださった、ポートマフィアの幹部様だったようで。
しかも、
「どんなに頭はよくても
肝の部分では相変わらずに阿呆なんだよ、手前はな。」
どんな会話が交わされていたのかも筒抜けにしていたらしい敦くんの手並みによって、
話は全部聞いてんだよと、不敵に笑った中也さんへ。
こちらは何とも厭そうな顔になった太宰であったが……
to be continued. (18.01.09.〜)
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*頭のいい人、機転の利く人が迷走するとろくなことにならない。
頭の悪いおばさん、結構頑張りました、はい。(笑)

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